自民党議員質問時間を1分余らせる件は重大事案か

国会での質問時間が変更に

衆議院選挙が自民党の圧勝(野党の自滅)で終わりました。
国会運営に関わり、与野党の質問時間の配分が最初の争点になっていましたね。

質問時間は与党5・野党9 衆院予算委、与党が押し切る

国政全般を議論する衆院予算委員会で、野党の質問時間が削減されることになった。与野党は22日の同委理事懇談会で、27、28両日の審議(計14時間)を与党5時間、野党9時間とすることで合意。「前例としない」としたものの、配分見直しを目指していた与党が押し切った格好だ。
衆院予算委の持ち時間はこれまで、「与党2対野党8」だった。今回の合意で「与党36%対野党64%」となり、与党の質問時間が2倍近くになった。
与党側は衆院選大勝を背景に、すべての委員会で配分を見直す方針を決めた。15日開催の衆院文部科学委から「5対5」を提案。野党の反対を受けて「1対2」に譲歩したが、予算委でも「5対5」を提案し、従来通り「2対8」を主張する野党側と対立していた。

(朝日新聞 2017年11月22日)

与党の言い分は「議員数に見合う時間配分をするのが公平で公正な国会運営である。自民党は議員が多いのだから、質問時間も野党より長くすべき。」
これも、言い分としては理解できます。

一方の野党は「与党は法案提出にあたり事前協議を行っており、国会で質問する立場にない。法案を批判検討する立場である野党に時間を長く配分すべき。それが民主的な国会である。」
こちらも話としてはわかります。

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個人的には、野党の立場にやや賛同です

こんな事例を考えてみましょう。
わが町に巨大なゴミ処理施設を作ることになり、県が「ゴミ処理施設建設についての質問会」をします。住民はいろいろと質問や反対意見を出そうと準備していましたが、会場に行ってみるとそこには県の職員が多数を占め、住民の何倍もしる始末。
「2時間の会議時間です。みなさんに平等に時間を割くと、一人あたり20秒にしかなりません。同じ質問や意見の人は、代表の人を選出すれば、人数分×20秒の時間を与えます。」
結果、住民の質問時間は15分、残りの1時間45分は延々と建設に賛同する意見が続くのでした。

状況も設定もかなり飛躍してますが、これを公平で民主的な会議とは呼べないはず。

1分にかみつくのは正しいのか

29日の衆院予算委員会で、自民党の堀内詔子氏(山梨2区、当選3回)が自身に与えられた質問時間を1分ほど残したまま質問を切り上げようとして、野党から「時間まだあるぞ」と猛烈なやじを浴びる場面があった。与野党対立が続く質問時間の配分で、自民党は「若手の機会を確保する」として時間増を求めてきたが、その若手が質問時間を「返上」したことに、野党側は「言語道断」と批判を強めている。  (毎日新聞 2018年1月29日)

持ち時間を1分残して質問を終えようとした堀内詔子・衆院議員(52)の感覚は、一般庶民からすると大きな問題にはなりません。持ち時間を1分単位で計算して帳尻を合わせなければならない世界は、私たちの周りにはほとんどないからです。放送番組は列車の運行くらいですよね。

国会の質疑は、事前に質問が配布され、内閣が答えられるように準備をします。自民党議員の質問なら、なおさら持ち時間を使って時間内にまとめることができるでしょう。
その時の気分や焦り具合、野次の有無などの影響で、1分程度短くなることは十分考えられます。
1分くらい余ったって、そんなに文句を言う問題ではないと思うのです。

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次の議員が、「堀内議員の質問が1分早く終わりましたので、その分を使って質問させていただきます。」と言って始めたらいい。(それで1分消費しそうですが。)
私たち国民が知りたいのは、法案や国会運営にどんな利点と欠点があり、どう対処するかという問題であり、予定通り1分1秒も無駄にせず時間を使った事実ではないのです。
もちろんものには限度があり、持ち時間の半分しか使わなかったら、「おいおい、それならこっちに時間を回せよ。」となります。逆に、持ち時間をコンマ1秒まで計測し、「0.3秒早かった!問題だあ!」なんて人がいたら、その人こそ問題です。
1分は、誤差の範囲内です。

私はノンポリ人間ですが、基本的には野党よりの考えを持っており、今の内閣に言いたいことはたくさんあります。でも、それは「お前のとこの議員が1分短かった。何とかしろ。」ではありません。

役所というところ

この文章を書いていて、予算の取り合いと同じだなと感じました。
「これだけお金が必要だ、予算要求する!」と議論を重ねたあげく、年度末になって「予算を使い切らないと、次の年に下げられる。何とかして使おう。」というのが丸見えの工事だの物品購入だのが、2月から3月にかけて大賑わい。こんな時代がありましたね。今でもそんなに変わっているとは思いません。

「倹約できた。予算余った。」これは、国民からすれば歓迎すべきこと。余ったお金はせっせと借金返済に回せばよい。でも、そんなことは誰もやらなにのでしょう。

永田町の常識が一般庶民感覚に近づく日は来るのでしょうか。

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