平成時代ベストテン 日本を揺るがした出来事

もうすぐ平成が終わります。(平成30年2月1日現在)

あと1年ちょっとです。

長かったようであっという間の30年。

昭和に比べると激動というほどでもないけれど、それでもいろいろあった平成時代を、

ベストテン形式で振り返ります。

今回は「日本を揺るがせた出来事」です。

なお、ベストテンは年代に沿って書いてますので、1位から10位までの順位はつけません。

10こあわせてベストテンです。

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 その1 消費税(3%)開始  平成元年(1989年)

 日本の国家予算はどんどん借金がふくらみ、抜本的な改革の一環として導入された消費税。当初は大反対を受けていましたが、いつの間にか当たり前になってしまいました。その後、平成9年には5%、26年には8%に上昇しています。

 しかし、消費増税に伴い所得税が減るという副作用もあり、増税した分だけの増収にはなっていない状況です。

 なお、北欧などの消費税は日本より高いのですが、医療や住宅、基本的な生活用品等は免税になっているので、平均すると日本とあまり変わらないそうです。

 

その2 バブル崩壊 平成3年(1991年) 

 そもそも、バブル状態は長続きするわけないのに、その中にいると「正常な感覚」がなくなるのかもしれません。

 土地や証券の価格上昇を伴う好景気により、日経平均は平成元年に史上最高値38,95744銭をつけています。

 しかし、「土地は永遠に値が上がり続ける。」という神話が崩壊し、住専の破綻など金融業界が一気に経営難に陥ります。

 最近の経済は、「プチバブル」を誘導しているようにも思えますが、大きな破綻が起きないよう願いたいものです。

 

その3 Jリーグ開幕 平成5年(1993年)

平成の時代にスタートしたJリーグも、しっかり日本に根づきましたね。

読売ヴェルディと横浜マリノスの試合は、本当に興奮でしたが、あの頃は「プロとしてちゃんとやっていけるかな。」と心配しておりました。川渕三郎さんの手腕によるところが大きいように思いますが、日本人の気質にも合っていたのかもしれません。

その後、ワールドカップの初出場。そこから6期連続の本大会出場と、着実に力をつけてきています。Jリーグ百年構想の通り、日本が優勝する日が来ることを祈りましょう。

その4 阪神淡路大震災 平成7年(1995年)

1月17日未明に起こった地震は、「日本の建築は地震に強い」という自信を砕くことになりました。少し前に起きたアメリカの地震に対し、「日本なら大丈夫」と言っていた言葉が空しくなりました。それでも海外のメディアは、「日本だから、被害が最小限に食い止められたんだ。他の国だったらもっと被害が大きかったはず。」という論調で、日本の技術はまだまだ世界の信頼を得ていた時代です。

残念ながら死者は6435名。東日本大震災が起こるまでは、戦後最悪の地震被害でした。

 

その5 地下鉄サリン事件 平成7年(1995年)

宗教団体のオウム真理教によって起こされた最悪の事件。通勤時間帯の地下鉄に猛毒のサリンをまき、死者を含む多数の被害者を出しました。

オウム真理教は、このほかにも「堤弁護士一家殺害事件」「松本サリン事件」など凶悪事件を起こしています。

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その6 長野オリンピック 平成10年(1998年) 

日本における3回目のオリンピック。たくさんのドラマやニューヒーローが生まれ、日本が熱狂したひとときでした。

この大会で日本は、金メダル5個、銀メダル1個、銅メダル4個、合計10個のメダルを獲得しています。

スキージャンプ

船木和喜( 日本、男子ノーマルヒル個人銀、男子ラージヒル個人金)
原田雅彦( 日本、男子ラージヒル個人銅)
団体(岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、船木和喜)( 男子ラージヒル団体金)

フリースタイルスキー

里谷多英( 日本、女子モーグル金)

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スピードスケート

清水宏保( 日本、男子500m金、男子1000m銅)
岡崎朋美( 日本、女子500m銅)

スピードスケートショートトラック

西谷岳文( 日本、男子500m金)
植松仁( 日本、男子500m銅)

 

その7 東海村臨界事故 平成11年(1999年)

 

 作業員たちが硝酸ウラニル溶液を沈殿槽に流し込む作業を行っていたところ、沈殿槽内で硝酸ウラニル溶液が臨界状態となる。何の遮蔽物もない沈殿槽からは中性子線が建物の外にも放出された。

中性子線は、絶対に浴びてはならない放射線です。東海村の研究者によると、「中性子線を浴びた体は、身体そのものが放射性物質化するから、助からない。」という話です。

こんな事故が二度と起きなませんように。(実際には東日本大震災で起きてしまっている。)

 

その8 USJ開業 平成13年(2001年)

ディズニーランドの一人勝ちだった日本の遊園地勢力図を書き換えた、世界基準の遊園地。

低迷していた時期もありましたが、ハリーポッターの力で東京ディズニーランドと人気を二分するまでに成長しました。

 

その9 愛知万博 平成17年(2005年)

1970年の大阪万博以来、日本で二度目の総合博覧会。「愛・地球博」という名称で、3月から9月めでの6か月というロングラン開催を果たしました。

 

その10 東日本大震災 平成23年(2011年)

 マグニチュード9.0という未曽有の震災が起きて、早くも7年が経とうとしています。

震災から1か月後、私は石巻にボランティアとして一日を過ごしました。(たった一日です。)ボランティア受付会場の専修大学石巻校舎には、全国各地のナンバーの車が並び、ほんとに懸命に作業をしていました。

「ボランティアに行けば単位をあげる。」という大学も多くあったようで、テントに寝泊まりする大学生の姿もありました。

日本も捨てたものでない、と感じる一日でした。

でも、津波の被害は甚大で、私の入った民家流されたの庭には、流された車が2台重なっておりました。

復興はまだ半ば。

早く日本のすべての地域で、笑顔が戻ることを願っています。

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いかがでしたか、

日本国内も、いろいろな事件やできごとがありましたね。

次の時代は、どんな色になるでしょうか。

平和な世が続くといいですね。

 

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