恥の文化を捨てた日本人〜モリカケと日大、そして学校現場〜

「菊と刀」の作者であるルース・ベネディクトは、日本文化を「恥の文化」と位置づけ、自分の外の目や批判を行動の拠り所とする日本人の行動を、西洋との対比の中で論じた。若干偏った論調でもあり、日本人の全てを言いつくしてはいないが、ある意味日本人が自身を理解するよりも冷静に認識している面もある。

それが良いかどうかは別として、「人様から後ろ指を指されるような振る舞いはすべきでない。」という道徳観は、日本人の特質であることに間違いない。

ところが、どうやら日本人も変わってきたと思わせる出来事が、テレビを賑わせている。

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モリカケ問題〜みんな真実を知っているのに〜

ここでは、疑惑の復習をするのではなく、幕引きを図ろうとする側(イコール与党でもないところが、そもそも疑惑に満ちていますが。)のコメント。

「これで、疑惑など何もないことが明らかになりました。」

官僚が、「知りません。」「そんな意味ではありません。」と答弁すれば、
「ほら、何もないと言ってるじゃないか。だからもうおしまいね。」

これが通ると本気で思っているとすれば、精神異常だと思うのですが。

愛媛県からメモが出る。官邸に行って陳情したと記録にも残っている。
でも、「記憶にない。」と言えば、それでOKとなる。

うわっつらの議論をしながらも、誰もが「本当は、いろいろとまずい事情があったのは間違いない。」と思っている。

安倍政権の支持率が、読売新聞ですら30パーセント台(30〜39.9)だそうな。

支持しない理由として、「信用できない。」がトップという話。

国民から信用されない代表が、身内の「何もありません。」の言葉で、
「何もないことが明らかになった。」と言える。

「恥の文化」の崩壊は、どうやら国のトップから始まるのか。

日大アメフト部のタックル問題

これも衝撃だった。

学生が正直に会見までした内容が、

指導者によって「そんな意味ではありません。選手の勘違いです。」

と、極めてあっさりと否定されてしまった。

これも、誰もが真実を理解しているはず。

少なくとも、「日大の先生方が、違いますと言ったのだから、これで日大指導者の疑惑など何もないことが明らかになった。」と言える人はいません。

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安倍首相のモリカケ問題と、日大タックル問題って、
保身の言い訳が、そっくりです。
(言い訳にもなっていないところが、どちらもすごいところ。)

日大にも、「恥の文化」はないらしい。

いじめ自殺に伴う神戸市教委のメモ隠蔽問題

いじめによる自殺があった後に生徒に聞き取りをしたメモを、
裁判所に提出もせず、保護者の開示要求にも「ない。」と回答。

指導にあたった神戸市教委の指導主事から
「先生、腹をくくってください。」と指導され、
校長はメモの存在を否定したということ。

もし、地域の実力者と県のトップが結託して受験結果を捻じ曲げるような行為があったしよう。そんな不正が許せない市教委の指導主事が「校長先生、腹をくくってください。不正に屈せず告発しましょう。」となれば、「腹をくくる。」という表現は正しい。

しかし、
日本では、弱い人間を犠牲にして保身に走る時、
「腹をくくる。」らしい。

安倍首相のモリカケ問題と、日大タックル問題と、神戸市教委の隠蔽問題って、
やっぱりそっくりです。

若者に救いを求めたい

この3つの出来事は、保身のために隠蔽工作をした人々が、50代〜60代の年齢であることも特徴的だ。

組織のなかである程度の地位にある人物だから、年齢もその付近になる。

しかし、それだけだろうか。

いろいろと批判を受けることの多い「今時のわかいもん」の方が、良識があるように思える。

最近、組織の中に入らずに行きている若者を多く見かける。

職業としてはまだまだ確立していない分野である、いわゆる「ネットビジネス」に活路を見出す若者たち。今までの組織の中で、彼らは生きていけないのかもしれない。組織からすると、彼らは「使えない人間」のレッテルを貼られるのかもしれない。

組織の中で生きている若者も、50代の人間よりも人格者が多いような気がする。下っ端だからということではなく、しっかり動ける人が多いように感じる。

若者に期待したい。

常識があるように装いながら良識のかけらもない、日本のトップの大人たちのようにならず、新しい価値観で生きて、新しい日本を作ってほしい。

若者が本気になれば、日本は変わる。

そんな気がする。

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