1月の中旬から下旬にかけて、東南アジアに行ってきました
まったく個人的な観光旅行でマレーシアに行ってきました。現地では一通りの観光をしてきたのですが、1週間滞在した中で体調を崩し、2日ほどホテルでゆっくりしております。体調を崩した理由は、部屋の空調がうまくいかず、真冬の山小屋かと思えるような冷房が収まらず、風邪をひいたようです。部屋の空調ダイヤルは効かず、フロントに電話しても「こっちで操作する」と言ったきり何も変わらず、常夏の観光地で服を全て着込んで震えて朝を待つという笑い話のような日々でありました。
帰国して3日ほど東京に滞在、東京に住んでいる子どもたちと一緒にディズニーシーで遊んで、遊びほうけた挙句に地元に戻ってきました。
地元に戻り、家までのタクシーの中で運転手さんが「いやー、中国の人乗ってくると、怖いねー。」と話し出して、ようやくコロナウイルスの存在を知ることになった私。その頃はマレーシアで感染者は出ていなかったのですが、ホテルは中華系で中国人だらけ。帰りの飛行機も中国語を話す団体さまに囲まれて帰国。うーん、自分もやばいかも。それにしてもリスク管理がなってませんね。大反省です。
その時点で国内の感染者は、奈良県のバス運転手さんくらいでしたでしょうか。まだ日本国内に蔓延している状態ではありません。その時点で私の住んでいる県に感染者はいません。(この投稿を書いている時点でもゼロです。)そうなると、逆に自分が感染のスタート地点になりたくないものです。幸い、すでに仕事をリタイアしていますので、極力外に出ない作戦発動です。サークルやカルチャーセンターなどの集まりは全て「東南アジアから戻ったばかりなので、念のため休みます。」と連絡し、東京で一緒に遊んだ子供達とは毎日ラインで「今日も元気。」というコメントを入れて確認し・・・。
2週間が過ぎ、自分が発生源になる恐れがなくなったと判断し、今は通常の活動に戻っています。
当たり前ですが、ここまでの行動は自己判断です。
責めてはいないけど、政府の動きも遅かった
これまでの政府の対応を見ると、かなり後手後手に回っている感が否めません。お世辞にも「国民の健康と生命を守るために全力を尽くした。」とは言えないですね。その対応のまずさを分析すると、3種類のパターンが見えてきます。
1 単純で軽率なミス
ダイヤモンドプリンセス号の対応は、誰がどう対応しても難しい問題だったと思います。しかし、「乗船して対応した職員の検査をしなかった。」「陰性が出た乗客を、普通に電車で返した。」などなど、普通に考えれば疑問符がつく対応をしています。「うっかりミス」ですが、根っこに「ことを軽く考えている意識」があるようです。ここは「おいおい」と言いたいのですが、これ以上はやめときます。
2 隠蔽体質
ここからは憶測です。なんたって隠蔽なんですから、一般市民が「これは隠蔽されてます。」なんでわかりませんもの。
隠蔽って、何を隠蔽したいのかというと、感染が広がっていることを隠したいのです。理由は既に巷にあふれている通りでまちがいなさそうな気がします。
○中国からの観光客を、このまま受け入れたい。経済をこのまま停滞させずに維持したい。
○習近平さん来日を控え、あまり中国を刺激したくない。
○オリンピック前に日本は危険だと思われたくない。
厚生労働大臣を先頭に政府はいろいろと説明していますが、コロナウイルス検査が進まないのは、「感染者数を増やしたくない。」と言われても仕方がないですね。
3 決められない ことなかれ主義
国会のやりとりを見ると、「責任は誰が?」という批判が多いですね。そりゃあトップにはある程度の責任が伴うのは当たり前。でも、それにしても「責任は誰が取るのか。」論が渦巻きすぎて、これじゃあ誰も決断なんかしたくないですよ。
中国からの渡航者を制限・拒否すべきだと言う意見が出ても、決断できない。中国から攻撃された時に責任を取れない。取りたくない。
武漢からのチャーター便で、検査拒否して帰宅した人に何もできなかった。人権を盾にクレームが来た場合の責任が取れない。
「できるだけ人混みを避けて」という言い方から踏み込んだ決断ができない。最後の決断を一般市民に委ねる政府。「2週間程度活動を控えて。」という安倍首相の発言も、事態が悪化して各種団体が自主的に判断を始めたタイミングでようやく出てきた。
下手に検査数を増やして感染者が明らかになったら、経済は大変だあ。オリンピックが心配だあ。そうなったら誰が責任を取るんだ。どうせ夏になれば下火になる、今は下手に騒ぐな動くな。
残念ながら、何人か死者が出たことへの責任は意識にないようです。
そもそも日本国民が決められない体質
昨日、週1回通っている楽器の教室から「3月12日まですべての教室・レッスンを中止します。」と連絡が入りました。これは、安倍首相が「2週間程度控えてほしい。」と発言したことを受けての対応です。テレビの報道でも、各種コンサートやスポーツ大会が中止や無観客試合など右へ倣えの対応を始めました。
そうです。風向きが変わったのです。これまでは、「国が何も言わないから、判断できないよう。」と決断を見送ってきた各種団体の運営が、「国に言われたから中止です。延期です。無観客です。」と動き出したのです。この時点で「国が決めたことに従わないという決断をすると、責任問題がそれぞれの運営サイドに移ってしまいます。
決められない体質が行動を躊躇させ、一旦決めた(ような発言をした)ら、今度はそれに合わせないという選択肢がなくなるという日本人の右へ倣え感、ある意味恐ろしいくらいです。これ言うと「お前、そこに結びつけるのは左翼か。」と攻撃されそうですが、この「右へ倣え感」「全体に合わせないという選択肢がない感」があるから、日本はアホみたいな戦争に突き進んだように思えちゃいます。
私は個人的にノンポリですが、「戦争反対=左翼」が成り立つなら、間違いなくガチガチの左翼ですね。はは。
では、今回はなぜ風向きが変わったの?
ネット環境が生活に浸透し、誰もが情報の発信者になり得る時代になりました。大した知識も経験も影響力もない私のような人間でも、ネット上で自分の意見や感じたことを発信できるのが、私たちの生きる時代です。ひと昔前、リアルタイムの情報源はテレビとラジオと新聞だけ。少し遅れて市役所からくる広報と雑誌。かなりのタイムラグがあって書籍でした。でも今は、政府の広報やテレビの報道について一般市民は「私が見える風景はこうだ。」とリアルタイムで批判しています。報道機関さえも市民が発信する情報をもとに番組を作っています。
もはや、情報の統制が成立する時代ではなくなったのです。
今回のコロナウイルス の問題は、市民の声がメディアを通して様々な団体を動かし、遅ればせながら政府が追従して見解を出し、それがきっかけになり日本全体が動き出したという構図に見えます。
一般市民が国を動かしたと言える現象を言ったら、大袈裟でしょうか。
今から動きたいこと
残念ながら、政府はまだ「感染者数を現実よりも低く見積もりたい」という「事なかれ主義」が容器の底の澱のように漂っているみたい。これが逆に不安を煽り、日本が信頼を失う原因にもなりそうです。一般市民の声をいろいろな場所から立ち上げることで、政府の動きを変えていきたいものです。実際、少しですが効果が出ています。
ここまで武漢渡航歴のない人の感染が出ているのに、保健所などでは「武漢の渡航歴がないから検査対象外です。」などとふざけた事をいってるとか。こう言う問題が市民の投稿で全体の問題になり、国会でも質問が出ている模様ですね。
「一般市民が勝手に情報を流して、逆にパニックにならないのか?情報は一か所から出した方がいいのではないのか?」そんなことはありません。政府広報だけが唯一信頼できる情報で、それに従うべきなんて思ってたら、そっちの方がよっぽど危険だと思うのですがね。
ひとつ、注意喚起しておきます。最近のメディアの中には、市民の投稿をそのまま鵜呑みにして、さもそれがスタンダードだと言わんばかりに放送しているものも見られます。報道は報道として、それが全てを言い尽くしていないかも、ひょっとしたらごくごく少数の声を取り上げているだけかも、という批判的な目で見ることも忘れてはなりません。