日本に帰化したラミレス監督の生い立ちと成績

ラミネス監督が日本人になるという大きなニュースが先日流れてきました

嬉しいです。

力のある有名人が日本に帰化してくれるのですから、日本にとって有益であることは間違いありません。

個人的にもラミネス選手のパフォーマンスが大好きでした。

どうも日本人は、スポーツに宗教的と言えるほどの求道者を求める傾向があります。

勝っても負けても、ふざけたりしちゃいけない。

スポーツ以外の趣味や楽しみにうつつを抜かしちゃいけない。

自分がやってるわけでないのに、頑張ってるスポーツ選手に多くを求めすぎですって。

その点ラミネス選手は、とにかく明るい。

ホームランの後や、インタビュー時のパフォーマンスがいいですね。

あれと同じことを日本人選手がやったら・・・バッシングでしょう。

(ちなみに、メジャーリーグでもNGらしい。)

パフォーマンスはともかく、リラックッスして競技に臨む若い日本人アスリートが増えてきたように思います。

(若いオリンピック選手の中には、そんな雰囲気を持つ人が出て来てますね。オヤジ世代からは文句言われてますが。)

ラミネス選手の生い立ちは

1974年10月3日生まれ。ベネズエラ出身です。

ちなみに、ベネズエラは世界一治安が悪い国に認定されたことがあります。

中南米の他国の人も、「ベネズエラ?お前、何考えてんだ。死にたいのか。」

とコメントするとか・・・。

こわ。

でも、物価も安く、定食が飲み物付きで150円出せば余裕という話もあります。

べねずえら、天国か、地獄か。

話を戻しましょう。

5歳で野球を始め、8歳で地元のリトルリーグに所属。

18歳でインディアンズとマイナー契約。

その後、AAAのバイソンズからメジャー昇格、そしてパイレーツに移籍。

しかし、短いメジャーリーグ時代はパッとしないで終わっています。

何歳の時でしょうか。若いです。

2001年~200年はヤクルトスワローズで大活躍

移籍してすぐの2001年はチームの優勝に貢献。

7年間を通して3割前後の打率を維持し、本塁打王1回、打点王2回。

2008年~2011年 巨人時代

この4年間もコンスタントに打ち、ほぼ3割をキープ。

本塁打王1回、打点王2回、首位打者1回。

(ラミレス本人は、あまり巨人に行きたくなかったらしい。)

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2012年~2013年 DeNA時代

初年度は3割打者だが、2年目は試合数も56で、本塁打2本に終わる。

それでも、2000本安打を達成した、思い出の球団になったようです。

その後は、チャレンジリーグの群馬に所属し、選手、そしてシニアディレクター、オリックスのアドバイザーを務める。

DeNA監督へ

2016年からは、監督として手腕を発揮。

2016年はリーグ3位だが、クライマックスシリーズで2位の巨人に勝つ。

2017年は同じくリーグ3位も、クライマックスシリーズを突破し、日本シリーズへ進出。

あの明るい雰囲気の陰に、しっかりとしたチーム作りの理念と若手育成のノウハウがあるようです。

そして2018年、いよいよ日本一へ!

ラミレス監督は、一度離婚していますが、現在は日本人の奥さん(美保さんという名前らしい。)と再婚し、日本で充実した生活を送っています。

ヤクルト入団当初は「1年の出稼ぎ」くらいに思っていたという話もありますが、

こんなに長く日本に留まり、日本に帰化するなんて、きっと本人が一番驚いているでしょう。

ラミレス、頑張れ!

筒香、頼むぞ!

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